3月24日(木)に第41回「釈尊伝研究会」を行いました。今回の出席者は森章司、金子芳夫、岩井昌悟、本澤綱夫、石井照彦の研究会員全員で、主なテーマは【資料集8】「パーリ『経蔵』の六事と仏在処一覧」についてでした。
この資料集についてはこの1年間ほど毎回のように報告しています。
はじめは「仏在処不記載経の処理」というテーマでしたが、それが経の冒頭の「如是我聞一時仏在○○与大比丘衆△△人倶」という文章の、「如是」=信、「我聞」=聞、「一時」=時、「仏」=主、「在○○」=処、「与大比丘衆△△人倶」=衆という「六事」全体を調査することになり、さらに経の最後の「歓喜奉行」の部分まで調査の範囲が拡がりました。
大乗の『涅槃経』には十二部経のなかの修多羅(経)の定義ですが、「何等名為修多羅経。従如是我聞乃至歓喜奉行。如是一切名修多羅」とされているように、経であるための必要条件としては冒頭部の「六事」とともに最終部のこの部分も含まれるという認識があるのではないかと考えたからです。
要するに最初は、仏在処が記されていないものをどのように処理するかという現実的な問題から出発したわけですが、パーリの経蔵には、特にSN.やAN.の短い経には、われわれが「経(sutta)」としてイメージするものとはかけ離れた形態のものが多く、そもそも「経とは何か」という根源的な疑問が生じ、そのうえで原始仏教聖典の経蔵はどのように形成され、伝持され、そして漢訳されたのかという、まことに重大な問題を解決するヒントがひそんでいるのではないかという問題意識が首をもたげてきたからです。
ともあれ、そのデータの収集・整理が終わり「一覧表」も完成したので、このデータのおおまかな分析を行って「あとがき」に代えようとみんなで議論しあったわけです。
一口でいえば、このデータはわれわれがもっていた「経」の概念の変更を迫るものだったといってよいでしょう。
この資料集は「モノグラフ」第21号に収録し、できれば4月中に刊行したいと考えています。発行の暁には皆さんからもご意見を頂戴したいと思います。