7月15日(金)に第38回研究会を行いました。この研究会には森章司、金子芳夫、岩井昌悟、石井照彦が出席し、腰痛の治療があって本澤は欠席でした。主なテーマは「パーリ経蔵の六事記載タイプ」についてでした。
「パーリ経蔵の六事記載タイプ」というテーマは、この数回の研究会テーマであった「仏在処不記載経の処理」が発展したものです。
「六事」については「3月・4月研究会報告」において詳しく説明していますが、簡単にいうと経の冒頭の「如是我聞一時仏在○○与大比丘衆△△人倶」に含まれている6つの要素のことです。
今回の調査でわかったのですが、パーリの経蔵に含まれる3170経(この数はわれわれ独自のデータの取り方によって数えた数です)のなかで、このような6つの要素を具備した経はたったの28経しかありません。「六事」が成就してはじめて仏説の「経」たる資格を有するという大乗仏教的な考え方によるとすれば、パーリの原始経典の99%余がその資格を有しないことになります。
ただし漢訳の「阿含経」はパーリとは事情を異にし、六事を成就するものが経である的な感覚があったかもしれません(ただし漢訳については精密に調査したわけでありません)。
したがってパーリの経蔵に含まれる「経」の冒頭部分はさまさまな記載スタイル(仏が登場せず仏弟子が主人公の経もあるのでそれを分けると17タイプ)があって、「パーリ経蔵の六事記載タイプ」というのはこのことを意味します。
そしてこのタイプを分析し、その背景を探っていくと、ひょっとすると原始仏教経典の原初形体はどのようなものであり、それが口承による伝持によってどのように変化し、そしてそれがどのように文字化されたのか、あるいはまた漢訳阿含経が漢訳されるにあたっての元の形体はどのようなものであったのかということが判ってくるかも知れません。
今のところその分析にまで手が回っておりませんが、調査は終了したので、これを「パーリ4ニカーヤ(DN.,MN.,SN.,AN.)の六事(信・聞・時・主・処・衆)と仏在処一覧」(仮題)という資料集にまとめて、これを「モノグラフ」第21号に収載することになりました。担当は金子芳夫です。