3月14日(月)に第36回研究会、そして4月27日(水)に第37回研究会を行いました。36回研究会には森章司、金子芳夫、岩井昌悟、本澤綱夫、石井照彦の全員が出席しましたが、37回研究会には先約があって本澤は欠席でした。
3月の研究会では前回(2月)に引き続きパーリのSN.とAN.の「仏在処不記載経」の処理方法について討議しました。
2月研究会の時点ではいまだ調査中であって増える可能性があるが、「仏在処不記載経」の数はSN.に588経、AN.に548経があり、合計では1,136経であると報告させていただきました。
その後調査が進んで3月研究会の時点ではそれぞれ1,056経、579経と増え、合計1,635経(このなかにはブッダが登場しない146経を含む)となっていました。これがわれわれの調査結果ですが、経をどのように区切るかで経の数は変ってきますし、実は意外なほど仏在処の表示様式は多様であって、これをどのように理解するかで数が変わってきます。
そして3月研究会ではこれら「仏在処不記載経」は、仏在処が不記載ないしは不明なのではなく省略されているのであって、直近前経の仏在処が省略されるという法則に基づいているという結論を得ていました。
加えて、現在われわれのもっているパーリの原始仏教聖典には仏在処の外にも実はさまざまな要素が省略される場合があり、それらがどうなっているかという問題意識から、この1ヵ月余の間に、森と金子が相談しながら、SN.とAN.を対象として、いわゆる仏説の経である要件とされている六事成就がどのように表わされているかを調査してみました。
六事成就というのは、経の冒頭の「如是我聞一時仏在○○与大比丘衆△△人倶」という文章の、如是を「信成就」、我聞を「聞成就」、一時を「時成就」、仏を「主成就」、仏在○○を「処成就」、与大比丘衆△△人倶を「衆成就」というのですが、漢訳阿含を含めてこのような形式の文章が経頭に置かれている原始仏教聖典の数はごく少数です。いうなれば原始仏教聖典のほとんどはこの六事を成就していないということになります。
といっても原始仏教聖典はもともと釈尊の言行録であり、釈尊の教えは対機説法に特徴があるのですから、「仏」が「いつ」「どこで」「誰に」「どのように」法を説いたということは欠くべからざる要素です。しかしながら大乗仏教経典のように、形式的に六事が成就しているわけではないということです。
したがって原始仏教聖典を形式的な六事成就によって処理することはできませんが、信・聞・時・主・処・衆の6つの要素を独自に概念規定して、これらがどのように表わされているかを(とりあえずは記されているか、省略されているかを中心に)9タイプにタイプ分けしてみました。しかも実際には主文の冒頭ないしは前半部分が省略されるケースさえあり、これを加味するとさらにタイプは複雑になります。
この具体的作業は金子が行いましたので、4月の研究会では金子によるこの調査結果をもとに討議しました。
その討議内容の中にはもちろん、はたして口承で伝持されていた時代からそうであったのか、遡ればそもそも結集された聖典はどのようなものであって、それが文字化された時にはどうなったのであろうかなどという、パーリ聖典の形成史とも関係する問題も含まれました。となれば必然的に漢訳の原始仏教聖典の形成史とも係ってきますし、ひいては律蔵にも関係してきます。
はたしてこのような調査から何がわかってくるか現在のところは予測できませんが、せっかくやるならばDN.もMN.も含む(ただしKN.は除く)全部の経を対象にして、信・聞・時・主・処・衆がどのように表わされているかをより精密に調査してみることになりました。この調査は現時点ではPTS版によって行っていますが、少なくともChaṭṭha Saṅgāyana版とNālandā版についてはそれほど異同はなさそうです。
この調査も金子が担当することになりました。