3月2日(月)に第30回目の「釈尊伝研究会」を行いました。いつものように森章司、金子芳夫、岩井昌悟、本澤綱夫、石井照彦が出席しました。
用意した議題は次のようなものでした。
(1)前回議事録確認
(2)報告事項
(3)「モノグラフ」第20号掲載の各自担当の研究テーマについての現況報告と討議
金子芳夫:「原始仏教時代の遊行・通商ルート」について
岩井昌悟:「ジーヴァカ資料集」について
(4)各自担当の研究テーマについての現況報告と討議
岩井昌悟:「日本の仏伝物語」について
本澤綱夫:「釈迦族の人種に関するDNA分析」について
森 章司:「原始仏教聖典における高名な婆羅門たち」について
(5)次回(3月)研究会について
(6)その他
(2)については石井照彦からわれわれのホームページを活性化するための提案をしてもらう予定になっていましたが、司会進行役の森の不注意で飛ばしてしまいました。次回にもう一度とり上げます。
(3)については、まず金子から「原始仏教時代の遊行・通商ルート」についての報告がありました。いよいよ完全な形でまとまった資料をもとに、論文をまとめる段階になっています。この論文の主なテーマはもちろん釈尊時代の遊行・通商ルートを地図に書き込むことですが、その確定のためには今までに蓄積した知識に照合しながら、原始仏教聖典の記述の吟味とその採否を含めた判断を行わなければなりません。そのために4月から5月にかけての連休中に合宿研究会を行うことになりました。
岩井の「ジーヴァカ資料集」は大学の業務多忙のため進展がなかったということで、これに代えてベトナム仏教の視察調査の報告がありました。ベトナムは東南アジアには珍しく中国系の大乗仏教が中心ですが、上座仏教とよばれる南アジア系の釈迦仏教も行われていて、これらの融合や、さらには新興宗教の動きも見られるということでした。
(4)については、本澤から「釈迦族の人種に関するDNA分析」についての報告がありました。報告者を含めまったくの素人ばかりの集団ですから、報告を受けたためにさらに混乱状態が深まったといってよいでしょう。しかしこれは問題意識が一歩深まった証拠なのかも知れません。もちろん初歩的なレヴェルにすぎないのですが、お互いがもっと勉強するとともに、身近なところにいる遺伝子やDNAなどの知識をおもちの方にレクチャーをお願いしようということになりました。
森の「原始仏教聖典における高名な婆羅門たち」については、またまた時間切れで議論することができませんでした。ということで書面で意見をいただくということで打ち切ることになりました。
この外、前回のテーマであった「建造物としての重閣講堂」についても議論しました。
パーリのアッタカターの情報では、重閣講堂は円筒形の建物で、円筒の両端の部分が尖塔になっていて、これを正面から見ると白鳥が羽根を拡げたような形をしており、それはクシナーラーに建てられている涅槃堂のような建造物を想像すればよいのではないかということになりました。「重閣講堂」という漢訳語からすると、上下に重なった2階建て、3階建ての建造物を想像しますが、このイメージからすると大きな建物であったことは間違いないのでしょうが、むしろ横に拡がった建造物ということになります。
釈尊の入滅の様子を描いた『涅槃経』では、釈尊は入滅の地クシナーラーに向かってヴェーサーリーを離れるとき、象が眺めるように身をひるがえしてヴェーサーリーを眺め、「アーナンダよ、これが私のヴェーサーリーを見る最後の眺めだ」といわれたとされています。私たちはその場所はヴェーサーリーの町のすぐ西側を流れるガンダク河という大河を渡ったところだと考えていますが、河の流れの向こうの樹海の上に、午後の太陽に照らされてきらきらと光る白鳥のように白い重閣講堂の2つの尖塔が見えたのではないでしょうか。
先のイメージはこのような想像をかき立ててくれます。