11月21日(金)に第27回「釈尊伝研究会」を行いました。今回は金子芳夫の「原始仏教聖典における北道(uttarāpatha)と南道(dakkhiṇāpatha)」を中心に議論しました。
この報告は、原始仏教聖典において北道(uttarāpatha)と南道(dakkhiṇāpatha)がどういうルートであったのかを調査したものでしたが、議論は'uttarāpatha'と'dakkhiṇāpatha'という言葉の表わす意味の検討が中心となりました。この議論によって、上記の言葉は以下の3つ、
①単一か複数かはわからないけれども特定のルート
②漠然と北方あるいは南方の地域
③固有名詞として限定された特定の地域
を意味する可能性があるのではないかということになりました。
①には特定のルートの周辺地域も含まれ、②はルートには関係なくもっと広い地域を意味します。
パーリ語やサンスクリット語(uttarāpatha,dakṣiṇāpatha)に対応する漢訳聖典では、漠然とした地域、地方の意に訳されていることが多く、研究会では②の可能性がもっとも強いのではないかということになりました。しかしこの語にはその他のさまざまな問題点が含まれていることが明らかになり、さらに調査・研究を続けることになりました。
このほかに岩井昌悟から、日本近世の仏伝物語である『釈迦八相物語』、近松門左衛門『釈迦如来誕生会』、山田意斎『釈迦御一代記図会』などについての報告がありました。これらの仏伝物語はマハーマーヤーとマハーパジャーパティー・ゴータミーの長幼関係が逆転したり、物語として独特のモディファイがなされたり、その図柄が著しく日本化されているなどの特徴があり、これを通して日本人の仏教観・釈尊観・人間観を検討してみようとするものです。これも研究の緒についたばかりで、さらに調査・研究を進めます。
森章司は「高名な婆羅門たちの帰信年代の推定」という発表資料を出しておりましたが、検討する時間がありませんでした。
また本澤綱夫は、われわれの研究成果を一般読者にも読んでいただけるようなものにしたいということでテーマと担当者を割り振ってありますが、その担当巻の執筆に専念することになっています。