9月17日(水)に第25回「釈尊伝研究会」を行いました。場所はいつものとおり中央学術研究所の会議室をお借りしました。今回も金子芳夫の「原始仏教時代の遊行・通商ルート」についての報告が中心となりましたが、このほかに石井照彦から「釈迦国周辺の地図」について、森章司から【研究ノート10】についての報告がありました。なお本澤綱夫は体調不良のため欠席でした。
森と金子の共著「原始仏教時代の遊行・通商ルート」論文の構成については、7月の研究会報告でお知らせしたとおりです。昨日の研究会では、金子が担当する第【1】節「原始仏教聖典に記された遊行・通商ルートのデータ」のデータの示し方についての詳細を検討しました。
石井照彦の「釈迦国周辺の地図」については、昨年8月に行った「ネパール・インド現地合宿研究会」の際にGPSやカメラあるいは車の移動の記録などのデータとGoogle Mapをつき合わせて作成したルンビニー、ティラウラコート、ピプラーワー、デーヴァダハ、ラーマグラーマ、祇園精舎などの地点を記した地図(緯度・経度・海抜も記載)を検討しました。
ルンビニーからの直線距離はティラウラコートよりもピプラーワーの方が近いこと、舎衛城よりもルンビニーの方が緯度が低いこと、ルンビニーから舎衛城までの直線距離は122kmで、直線距離でいうとほぼ東京(日本橋)から栃木県の日光までの距離に等しいこと、ルンビニーの海抜は99mしかないこと、などがわかりました。
上記の「原始仏教時代の遊行・通商ルート」を考察するときに直接の関係があることはもちろん、釈尊の「年表」を作成する際にも大きな参考資料となりそうです。例えば釈尊が釈迦国からヴェーサーリーに遊行されるとき、祇園精舎に立ち寄られるなどということは現実的にはなかったであろう、と想像されるからです。
森章司の【研究ノート10】は「Dīghanikāya『戒蘊篇』とその相応漢訳経典の説時推定」と題するもので(仮題)、Dīghanikāya(長部)やMajjhimanikāya(中部)とその相応漢訳経典1つ1つの説示年代を推定しようとするものの一環です。まだ草稿段階ですが、DN.008 Kassapa-sīhanāda-s.まで進んでいます。
研究会では検討する時間的余裕がなかったため、各自に自宅で読んでいただいて意見を頂戴することになりました。