ゴールデンウイーク中の5月3日(憲法記念日)、4日(みどりの日)、5日(こどもの日)の2泊3日の日程で、立正佼成会の宿泊施設をお借りして、標記のような特別テーマによる合宿研究会を行いました。
すっかり毎月開催として定着していた釈尊伝研究会としては2ヵ月ぶりの研究会でした。
2月は日程調整がつかず、3月は26日(水)に予定していましたが、森の病気のための緊急入院で中止になったためです。しかし森の体調も回復し、また「原始仏教時代の通商・遊行ルート」を地図に書き込むためのデータ加工も完了したので、いよいよ実作業を行うための合宿研究会でした。
この作業は、金子芳夫が中心になって、2012年(平成24年)の初頭から2年余に亘って営々として収集してきた「データ」をもとに、人工衛星から撮影した写真によって作成された地図2枚を貼り合わせて作った、畳1畳ほどの大きさのガンジス河中流域地方(仏教中国)をカバーする地図に、原始仏教聖典に記された主要な都市・村(これを我々は基準地点とよんでいます)2点間のルート(道路)を書き込む作業で、もちろんこれらをつなぐ道路がどのようにはりめぐらされていたかを研究するためのものです。
合宿中に作るルート地図は下記のような4種になる予定でした。
「地図①」原始仏教聖典に記されたすべての2点間データによる通商・遊行ルート地図
「地図②」飛行機、特急、急行各ルートを除外して修正した通商・遊行ルート地図
「地図③」状況証拠によって補った通商・遊行ルート地図
「地図④」基準地点以外の地名を含めた通商・遊行ルート地図
しかし作業は思ったようには進まず、合宿中には「地図①」を作成したに留まりました。それでもその間にさまざまなことを気づかせてくれた、充実した合宿研究会であったといえるでしょう。
そこで5月12日(月)、14日(水)、17日(土)、21日(水)に金子と森の2人で続きの作業を行って、「地図②」と「地図③」を作成しました。「地図③」の段階でかなり現実的なルート地図になってきていますが、「地図④」を作成(これは金子が担当する)しおえた段階で次回の研究会(6月初旬の予定)を行い、
「完成地図(案)」原始仏教時代の通商・遊行ルート地図
を作成する予定です。
この基礎データと、道路そのものについての基礎的研究ならびにデータをどのように処理するかという基本的な考え方、「基準地点の位置確定」や「状況証拠によって補った通商・遊行ルート」を作成した根拠、あるいは「ガンダク河左岸(東岸)ルートは存在したか」などの個別テーマについての研究結果は、後に研究論文にまとめて報告させていただきますが、この論文執筆の過程をへて、最終的な「原始仏教時代の通商・遊行ルート地図」が完成することになります。
以上