12月20日(金)に第21回「釈尊伝研究会」を行いました。前回までしばらくのあいだは、「ネパール・インド現地合宿研究会」の準備と事後処理や、「モノグラフ」第18号の校正作業などを行ってきましたが、今回からは通常の研究会に戻りました。
以下が研究会において報告されたこと、また決定された事項です。
金子芳夫担当の「原始仏教時代の通商・遊行ルート」については、資料の収集と整理が終って、いよいよまとめの作業に入ります。
金子の資料の整理のし方はまことに厳密で、例えば資料は釈尊、比丘・比丘尼、その他(王、商人など)別に収集されていますし、そのルートが幹線ルートか支線ルートかを区別するために通行回数の統計もとっています。しかし通行回数は必ずしも資料数とは一致しません。なぜなら『涅槃経』など異訳経典が多いものは資料数が膨らむからです。また同じ記事がパーリと漢訳の双方と、さらにはいくつかの経典に記される場合があり、この時にはそれらをアイデンティファイする作業が必要です。そのためには原始聖典に記されている記事に関するすべての知識を総動員しなければなりません。
また2点間のルートを直線にして地図上に描いてみると真っ黒になります。現実的なルートと非現実的なルートが無数に存在するからですが、これをどのように処理するかなど、解決しなければならない課題が立ちはだかっていますので、近々に合宿研究会でもやって集中的に検討することが必要になりそうです。
本澤綱夫は「パーリ・漢訳対照『律蔵』規定便覧」の編集作業を一時保留して、「ヴェーサーリーの仏教」なる論文を準備することになりました。これは「モノグラフ」第14号に掲載した【論文19】「コーサンビーの仏教」の姉妹編になるものですが、ヴェーサーリーを舞台とする聖典数はコーサンビーの倍以上ありますし(【資料集2-4】「原始仏教聖典の仏在処・説処一覧−−その他国篇−−」をご参照下さい)、ヴェーサーリーには年代のメルクマールになりそうなエピソードがないので、はたしてうまくまとまるか判りません。とにかく我々がもっている「釈尊伝データ」からヴェーサーリーやヴァッジ国を舞台とする資料を検索して、このデータのすべてを読むことから始めます。
森章司は先日刊行した「モノグラフ」第18号で予告した形になっている「研究ノート」を完成させる作業に入りました。この研究会では手始めに【研究ノート8】として準備している「釈迦族滅亡年の推定」を報告しました。
岩井昌悟は勤務先の大学の緊急会議が入ったということで欠席でした。研究会では欠席裁判のような形になりましたが、ペンディングになっている「ジーヴァカ資料集」を完成させてもらうことになりました。今後の作業は長文の根本説一切有部のサンスクリット文献"Cīvaravastu"をどう処理するかにかかっています。「釈尊伝研究会」会長としての森は、【研究ノート2】として「ジーヴァカの諸事績年代の推定」と密接に関連するため、完訳でなくとも大まかな筋書きと要点だけでも翻訳して、できるだけ早い機会に「資料集」を完成させてもらうことを希望しています。(もっとも研究ノートの粗稿を執筆する段階では、その準備としての元資料を使わせてもらっていますので、それほどの痛痒は感じていません。むしろ発表原稿の形式に直接関係するからです)
早めに研究会をきりあげて場所を築地に移し、忘年会を行いました。これには岩井も参加しました。以前から計画していたワインパーティとなって大いに盛り上がりました。まだまだ判らないことはたくさんありますが、しかし調べれば判るものでもありません。いよいよ最終的な報告書「ゴータマ・ブッダとそのサンガ」(仮題)を書き始める機運が高まっています。
皆さま、よいお年をお迎えください。「釈尊伝研究会」一同