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東園鹿子母講堂 東園 鹿子母講堂 ヴィサーカー・ミガーラマーター 鹿子母 毘舎佉 |
東園鹿子母講堂は名前が示すように、ヴィサーカー・ミガーラマーター(Visākhā Migāramātā 毘舎佉鹿子母と漢訳される)によって建立された僧院とされている。しかしながら実は原始仏教聖典にはこの僧院がミガーラマーターによって寄進されたと明記するところはない。『五分律』「堕069」が毘舎佉母が祇園精舎に忘れていった装身具を「此を以て招提僧堂を作るべし」と寄進し、『五分律』「臥具法」には「時に舎利弗は毘舎母のために経営して新大堂を作った」とし、また『パーリ律』「臥坐具犍度」が、「その時、ヴィサーカー・ミガーラマーターはサンガのために、ベランダを具えた高楼と柱頭に象の首の意匠をこらした小塔を作らせようとした。〔世尊は〕比丘らよ、いかなる高楼の受用も許す、と言われた」とするのが、これに相当すると考えられる。
しかしながら後期の原始仏教文献には明確にヴィサーカー・ミガーラマーターが東園鹿子母講堂を仏教サンガのために寄進したと記しているし、その名称からもこれがヴィサーカー・ミガーラマーターによって寄進されたことは疑えないであろう。なお東園というのは舎衛城の東門近くにあったという意味であって、現在舎衛城の城壁の東門と思われる場所の近くに小さな祠が建てられており、それが東園鹿子母講堂址とされているが、確かな証拠となる遺物は残されていない。ちなみに祇園精舎は舎衛城の南門近くにあった。
本稿は、この東園鹿子母講堂の寄進年をヴィサーカー・ミガーラマーターの生涯と関係させながら考察したものである。
なおヴィサーカー・ミガーラマーターについては、本ホームページに【資料集7】「Visākhā Migāramātā関係資料」(岩井昌悟・本澤綱夫・カタプンニョー比丘編)をアップしてあるので参照されたい。