キーワード: |
六成就、六事成就、如是我聞、歓喜奉行、歓喜文、仏在処、仏弟子説、経とは何か、大乗仏教経典 |
ここにいう「六事」とは、たとえば漢訳『長阿含経』の第1経「大本経」の経頭の「如是我聞。一時仏在舎衛国祇樹花林窟与大比丘衆千二百五十人倶」という文章中の、「如是」「我聞」「一時」「仏」「在舎衛国祇樹花林窟」「与大比丘衆千二百五十人倶」という6つの要素のことである。本「資料集」ではこれらを信・聞・時・主・処・衆と呼んでいる。
本「資料集」はこの「六事」の1つ1つの要素が、パーリ「経蔵」に収められているすべての経の1つ1つに具わっているかどうかということと、併せて結部の「諸比丘聞仏所説歓喜奉行」がどのように示されているかを調査したものである。また特に「仏在処」を示したのは、六事の他の5つの要素は形式的なものであるに拘わらず、これは具体的な極めて重要な情報であると考えたからである。
編者たちがこのような調査をしたのは、この6つの要素と「歓喜奉行」の結部が満たされていなければ仏説たる「経」とはいえないという一般的な常識に反して、パーリの「経蔵」ではこの6つの要素と結部を具備するのは極めて稀であるし(調査の結果では全体の0.30%しかない)、「仏説」ではなく「仏弟子説」の経もたくさんある(調査の結果では主が記入されている経の18.1%)ということを確認したかったからである。
この調査結果は、原始仏教経典の原形はどのようなものであったのか、それがどのように整備されてゆき、漢訳されたときにはどのようにモディファイされたのか、そしてパーリと漢訳において大蔵経のようなものに編集されたときにはどう改変されたのか、ひいては大乗仏教経典がなぜ誕生しえたのか、そもそも「経」とは何か、という基本的な問題につながるのではなかろうか。