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釈尊伝 仏伝 雨安居 雨安居地伝承 『十二遊経』 祇園精舎 |
本論文は、岩井昌悟研究分担者の【論文17】「釈尊雨安居地伝承の検証」の付論的なものである。この「検証」論文は、原始仏教聖典や雨安居地伝承が伝える雨安居地を個別に取り上げ、伝承はいずれかの原始仏教聖典の情報に基づいていなければならないという前提のもとに、細部にわたる齟齬や矛盾の検証を施したものであるが、雨安居地伝承そのものを総体的に取り上げるという方法論を取っていないために、この伝承を全体的に総括し評価するという点では分かりにくさが存するため、研究代表者としてより広い立場から、今までの本総合研究の成果を踏まえてこの伝承の概括的評価を試みたものである。
以下に【3】の「まとめ」の部分を紹介して、概要に代えたい。
以上、パーリの「アッタカター」や『僧伽羅刹所集経』『十二遊経』などが伝える「釈尊雨安居地伝承」を概括的に考察してきた。もちろんその結論は「検証論文」の結論と異なるはずはなく、端的にいえば「パーリ・漢訳の原始仏教聖典を第一次資料として釈尊伝を再構成しようとする我々にとって、雨安居地伝承は依拠すべき資料ではない」ということになる。
それでも上記の三つの系統の伝承の中では、『十二遊経』の解釈がもっとも合理的であると評価することができる。ただしこの経は釈尊成道後の最初の12年間の事績を列挙したものに過ぎず、われわれの研究のための大きな資料になりうるというものではない。しかしわれわれの解釈が正しいということの一端を証明してくれているとはいいうるであろう。
これに対するパーリの「アッタカター」と『僧伽羅刹所集経』の伝承は、最初の数年間と最後の1年を律蔵の「受戒犍度」と『涅槃経』によるものの、その理解はお手軽にこれらの情報を取り上げて編集した「仏伝経典」と同程度のものであって、とても信頼できないと評しなければならない。
そしてその成道直後と入滅の間に挟まる40年余りの雨安居地については、原始仏教聖典の情報に拠っている部分があるとしても、それらを慎重に検討しているという跡は全く見いだせず、大部分は原始仏教聖典の情報を無視した荒唐無稽の伝承と評してよいであろう。
ただしその中で、舎衛城の祇園精舎における雨安居をなぜ第14年まで遅らせる必要があったのかという謎の意味は、さらに検討しなければならない。