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遊行 遍歴 ジャイナ教 ヒンドゥー教 四住期 遍歴者 僧院 サンガ 四依法 頭陀行 中道 三宝帰依 具足戒 白四羯磨具足戒 布薩 雨安居 |
日本の学界では、釈尊の布教活動の最初期には比丘たちは、当時のジャイナ教徒やアージーヴィカ教徒など沙門と呼ばれる宗教者たちやバラモン教の遍歴者たちが等しく行っていた一処不住の「遊行」を常として、山谷の洞窟・樹下などに1人で住していたのであったが、やがて「僧院」が建設されると集団的な定住が始まり、それによって「サンガ」が形成されたという考え方が通説になっている。本論文はこれに反論を加えることを通して、釈尊とその弟子たちが、毎日を、あるいは1年をどのような周期で、どのように暮らしていたかという、生活方法の基本的なあり方を追求してみようとしたものである。
その結論は、以下のようなものとなった。
(1)原始仏教の散文聖典においては、釈尊自身も仏弟子たちも、初期・後期の時代に拘わらず、ただ1人の行方定めぬ一処不住の「遍歴」を行っていたという証拠は見いだせない。
(2)ただし釈尊自身も仏弟子たちも、目的と目的地を持ち、できればきちんとした宿泊場所が得られることが望ましい、長くとも2ヶ月を越えないような「遊行」は行っていた。従来の学会では「遍歴」と「遊行」の違いが十分に認識されることなく、混同されていた可能性があるのでこれを注意しなければならない。
(3)しかしながら偈頌経典には、「遍歴」が奨励され、実際に「遍歴」していた仏教の修行者が存在したとされている。したがって仏教の修行者の中にも「遍歴」修行を行った者が存在したのであろう。しかしながらそれをもって最初期の仏教修行者がすべからくそうであったとすることはできない。そのような修行者はむしろ特殊な修行者であって、時期的にいえば確かに最初期にはそのような修行者の割合が高かったかもしれないが、しかし後期に存在しなかったというわけでもない。
(4)また確かに僧院が建設されるまでの最初期の仏教の修行者たちは、阿蘭若処・樹下・山中・洞窟・山洞・塚間・山林・露地・藁積などに住していた。しかし彼らは一処不住の遍歴をしていたのではなく、それらは定住的な住処であったのであって、日々そこから町や村に乞食に出てきていた。しかしながらジャイナ教の修行者たちが求めたのは、作業場、集会所、水を置く小屋、市場、工場、藁小屋、旅行者のための家、庭園、墓地、空き家、木の根元などであって、これは一処不住の遍歴のための仮のねぐらであった。このことはその場所を比較してみれば明らかである。
(5)釈尊のよって立つ立場は中道であって、遍歴は苦行として否定される修行のあり方であった。また仏教のめざす悟りは智慧を完成させるためであって、そのためには禅定することが必要であり、またそのためには生活の安定が必要であって、遍歴は必ずしもそれに資すものではなかった。したがって「遍歴」は頭陀行と同様に、あるいは頭陀行には遍歴の要素は含まれないから、頭陀行よりもより特殊なものとして、もし欲するならば行ってもよいという程度の位置づけであった。
(6)またジャイナ教の修行者や、釈尊当時現れ始めていたバラモン教を基盤とする遍歴修行者と呼ばれる者たちも、確かに仏教の修行者よりは遍歴を行っていたかも知れないが、しかし彼らも一般に認識されているほど「遍歴」が常態でなかったことは、彼ら自身の聖典からも推測されるところであって、原始仏教聖典からそのような姿は窺えないのはその実態を表しているのかもしれない。
(7)したがって釈尊在世時代の最初期の仏教の修行者は、沙門と呼ばれるジャイナ教などの他の宗教の修行者と同様に遍歴を行っていたとする認識は誤りであって、だから精舎が建設されるとともに定住が始まり、そこにおける定住的な集団生活がもととなってサンガが形成されたという通説は、その事実認識に誤りがあるといわなければならない。
(8)事実としては、仏教の修行者は最初から樹下や草庵などにおいて定住的な生活を行っていたのであり、釈尊が各地で三帰依具足戒によって仏弟子が自らの弟子を取ることを許されることによってサンガの祖型が形成され、十衆白四羯磨具足戒が制定されることによって正式なサンガが成立することになった。この「仏弟子たちを上首とするサンガ」は組織的な集団であって、けっして自然成立的に形成されたゲマインシャフト的なものではなく、統治・運営を目的として人工的に形成されたゲゼルシャフト的な集団であった。したがってこの集団には組織を運営するための規則があり、この基本原則は会議によってその意思を決定するということにあった。
また各地に散在する「仏弟子たちのサンガ」を「釈尊のサンガ」として統一するためには、日常的に改廃されるそれら規則を共有することが必要であり、そのために布薩や雨安居や遊行などが成文法ないしは慣習法化された。要するに仏教の修行者は集団生活が建前であり、僧院は必要に迫られて建設されることになったのである。確かに最初期の仏教は多くの側面において他の沙門宗教と共通するものを有していたが、しかし遍歴を第一義としないことや、サンガの形成や、僧院の建設はすべて釈尊の成道において確立された釈尊独自の世界観・価値観・人生観に基づいてなされたものであって、すぐれて仏教的なものであったとすることができる。
(2012.1.6 修正)