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 今までの諸論文において、インド各地に散らばるすべてのサンガと、それらに所属するすべての出家修行者を統括するような「釈尊のサンガ」と呼ぶべきような組織の存在は、原始仏教聖典においては確認され得ないが、しかし状況証拠からはそういうものが存在したと考えなければならないということを述べてきた。本論はそのようなサンガの存在を論理的に証明しようとしたものである。
 「律蔵」に取り上げられるサンガは、1つの寺院において共同生活する仏弟子たちのサンガのことであって、【論文13】で述べた術語を用いるとすれば「仏弟子を上首とするサンガ」ということになる。これら1つ1つのサンガには、以下のようなさまざまな権限が付与されていた。すなわち、比丘としての資格を与えて「釈尊のサンガ」に入団させる権限(授戒)や、逆に重罪を犯した者を「釈尊のサンガ」から追放する権限、あるいは裁判を行い罰に処する権限、サンガを独立させたり合併させたりする権限、財産を取得し処分する権限などである。そしてその権限を執行する手続きが羯磨と呼ばれる。
 これは例えていえば全国にあるセブンイレブンの店舗のようなものであって、それぞれの店舗は基本的にはそれぞれが独立した小売商店であって、したがって土地や店舗、あるいは設備・備品をそろえることも、運営資金や人材の確保も、商品の購入・管理なども一切は小売店の責任のもとに行われ、利益も損失もまた小売店のものとされるのに比すことができる。
 しかしながらそれら小売店はセブンイレブンとして営業している以上、それらを1つに統括するものもあるのであって、それが本部に支払うroyaltyであって、その代償として商品の仕入れルートや、ディスプレイや商品の管理などについてのノウハウなどが提供される。要するにこれらが全国のセブンイレブンをセブンイレブン・ジャパンという1つの組織に結びつけているわけである。
 もし「釈尊のサンガ」もそれが組織的なサンガであったとするなら、全国に散在するサンガとすべての出家修行者を結びつけるものとそのシステムがなければならなかったはずであって、筆者は先のroyaltyに相当するものは日々に説かれる釈尊の「法」と「律」であり、そのシステムは月に2度ずつすべての比丘・比丘尼が出席する義務を課されていた法と律(特に律)を確認するために行われる布薩(uposatha)と、雨期の3ヶ月間に法と律をじっくりと学習する雨安居(vassa-āvāsa)と、日常的に説かれ、制定され、改訂されもする法と律の情報を収集するために行われる遊行(cārika)であったと考えるのである。もしこのようなものが機能していなければ、それを犯せば処罰されるという規定があることを知らなければ不犯(無罪)とされる律は意味のないものになったであろうし、1つ1つのサンガに付与されていた入団の権限や追放の権限が、「釈尊のサンガ」のものとして効力を発揮することもなかったであろうからである。
 要するに「釈尊のサンガ」はカトリック教会のような中央集権的な組織ではなく、各地にある1つ1つのサンガに運営の主体を委ねられたセブンイレブンのような組織であったがゆえに、筆者は本論ではそれを「レギュラー・チェーン店方式の組織」ではなく、「フランチャイズ・チェーン店方式の組織」と表現したのである。
 このように「釈尊のサンガ」は釈尊の説かれる「法」と「律」によって1つに結びつけられていたが、1つ1つのサンガはそれぞれが主体的に運営され、コーサンビーのサンガに紛争が生じた時、これを調停されようとした釈尊を「これは自分たちのことだから」と拒絶したように、釈尊とてその運営に容喙することはできなかった。したがって「釈尊のサンガ」の運営規則はなかったし、それが故に必ずしもはっきりした組織体にもなっていなかったから、その存在が確認しにくかったのである。
 ところで釈尊は入滅される際に、今後のサンガの行く末を心配する阿難に対して、「自らを島(灯)とし、自らを拠り所とし、他人を拠り所とせず、法を島(灯)とし、法を拠り所として、他を拠り所としないで住せよ」と説かれ、そして自分の説いた「法」と「律」が自分の死後における汝たちの師であると遺言され、また自分の後継者を指名しようとされなかったが、それは「釈尊のサンガ」が上記のようなものであったからである。
 摩訶迦葉が主催して行われた結集はこの遺言に基づいて行われたのであって、それ以降「釈尊のサンガ」は釈尊という教主の手を離れて、文字通り「法」と「律」がすべての「仏弟子たちのサンガ」とすべての出家修行者を結びつけることとなったのであって、この時点で「釈尊のサンガ」は「仏教のサンガ」に普遍化されたということができる。

(2012.1.6 修正)