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雨安居 雨安居地 夏坐 コームディー 作衣 カッティカ賊 自恣 四月薬 独坐 仏常法


 釈尊成道後45年間の、それぞれの年度の雨安居地点を知ることが、原始仏教聖典に記される釈尊の事績を時系列にしたがって再構築するために有益であることは言うまでもない。それを知る唯一の資料が、釈尊の45回の雨安居の年次と地点、あるいはある地点での雨安居の回数を伝える、我々のいう「雨安居地伝承」である。しかしこれらは原始仏教聖典よりはかなり後に成立した註釈書類になってはじめて登場してくるため、後世の創作であるという可能性も否定することはできない。
 そこでこの伝承の資料的価値を決定するためには、この伝承の根拠となったものが何で、これがどのように形成されてきたかということを知ることが不可欠である。そしてそのためのもっとも有力な材料が原始仏教聖典であることは論を俟たない。もしこの伝承が原始仏教聖典から得られる情報と一致するなら、これらは原始仏教聖典に基づいて作成されたという結論が得られるであろうし、信頼度は高いということになる。しかしもし一致しないなら、改めてこの伝承の根拠と形成過程が問われなければならない。
 【論文5】において、雨安居地伝承のヴァリエーションの整理と、原始仏教聖典中に記される釈尊の雨安居地の調査、そして比較対照を通して、原始仏教聖典からみると雨安居地伝承はその蓋然性が疑われることを示唆しておいた。しかしながら、原始仏教聖典が記す雨安居記事自身にも、例えばパーリと漢訳諸文献に同一のエピソードが記載されながら、文献によって、雨安居への言及がなかったり地名が相違したりするため、原始仏教聖典の雨安居記事をより綿密に調査整理する必要性を感じていた。
 本資料集は以上のことを背景にして、原始仏教聖典中の釈尊の雨安居記事を漏れなく収集するために、雨安居記事として採用する基準となる表現様式を再吟味して調査しなおしたものであって、本資料集で釈尊の雨安居記事として取り上げた表現様式は以下の通りである。

• (1)釈尊が某処で雨安居を過ごされたと明記される場合
• (2)釈尊が某処で自恣の日を迎えられた場合、その地が釈尊のその年の雨安居地である。
• (3)釈尊が某処におられた時、某比丘が某処で雨安居を過ごしたという場合
• (4)釈尊が某処におられた時、某比丘が作衣を行っていたという場合
• (5)釈尊がA処におられた時、某が釈尊にB処で雨安居されるよう要請して受諾される場合、B処は釈尊の雨安居地である。
• (6)某比丘が雨安居に入るために某処におられる釈尊に会いに来たという場合
• (7)某比丘が雨安居を終えて某処におられる釈尊に会いに来たという言う場合
• (8)釈尊が3ヶ月乃至4ヶ月間、もしくはそれ以上の期間(例えば7ヶ月)、某処に留まっておられたという場合
• (9)釈尊が某処におられた時、某比丘が3ヶ月乃至4ヶ月間、某処に留まっていたという場合
• (10)四月薬の自恣請に関するもの
• (11)釈尊がコームディー(komudī カッティカ月の満月の日)を迎えられた場合、その地が釈尊のその年の雨安居地である。
• (12)釈尊のもとに到来した某比丘に対して、釈尊が「がまんできるか。元気にしているか。労苦なくやって来られたか。どこからやってきたのか」(kacci bhikkhu khamanīyaṃ, kacciyāpanīyaṃ,kacci appakilamathena addhānaṃ āgato, kuto ca tvaṃ bhikkhu āgacchasi)などと声をかける場合。この表現は定型句として多く見いだされ、しかも「諸仏の常法」と関連付けられている。
• (13)釈尊のもとに至った某比丘が「我々は久しく釈尊に対面して法話をお聞きしていない。」(cirassutā kho no......bhagavato sammukhā dhamm īkathā)と阿難などにうったえる場合。
• (14)釈尊が某処におられた時、某比丘が雨安居に入ろうとしていたという場合
• (15)釈尊が阿難に周辺の諸比丘を講堂に集めさせて説法する場合

 この調査によって得られた釈尊の雨安居地の紹介は、目次から知られるように次の5つのケースに分類した。【1】の「パーリ資料と漢訳資料が共通するもの」とは、パーリ資料と漢訳資料の双方に、釈尊の雨安居中、またはその前後に、ある同一の事績が行われたとするいわゆる「同一の雨安居記事」を記す資料が見出され、しかもそれらの全てが一致して同一地における雨安居とするものである。ただし「祇園精舎」「東園鹿子母講堂」は「舎衛城」として、「竹林園」「耆闍崛山」は「王舎城」と見なし同一地として扱った。【2】の「パーリ資料と漢訳資料の一部が共通するもの」とは、パーリ資料と漢訳資料の双方に「同一の雨安居記事」を記す資料が見出されるが、パーリ・漢訳の一部あるいはすべてが異なる雨安居地とするものである。【3】の「パーリ資料のみが伝えるもの」とは、パーリ資料のみに「雨安居記事」が見出され、漢訳資料には雨安居が言及されないものや、その事績そのものの記述がないものである。【4】の「漢訳資料のみが伝えるもの」とは、漢訳資料のみに「雨安居記事」が見出され、パーリ資料には雨安居が言及されないものや、その事績そのものの記述がないものである。【5】の「その他」は、一応表現様式の枠の中には入っているが、雨安居記事として疑わしいものであって、その理由は資料の下に注記した。ここには上の【1】~【4】のすべての分類が混在し得る。
 また資料の提示については、前記論文で行ったような地名別ではなく、雨安居記事を内容別に整理して、雨安居地の異同が一目でわかるように、また雨安居に言及しない資料をも参考できるようにした。また採用基準の表現様式に順位を付すことで、雨安居が明示されておらず、雨安居が推測されるのみの記事の信頼度が判別できるようにした。