[目次]

はじめに
[1]雨期の調査の意味
[2]雨は降らなかった
[3]インドの奇蹟
[4]インドラ神様に見放された私たち
[5]調査の成果
[6]研究分担者の紹介
第1部 雨期の仏蹟調査の足取り
[1]振り出しの町;デリー(Dehli)
[2]西果ての町;マトゥラー(Mathurā, Madhurā)
[3]神話の町;サンカッサ(Saṅkassa)
[4]三蔵法師の町:カンナクッジャ(Kaṇṇakujja)
[5]裏切りの町;コーサンビー(Kosambī)
[6]インドを象徴する町;サールナート(Sārnāth 鹿野苑)
[7]さまよえる町;アヨーディヤー(Ayodhyā, Ayojjhā)
[8]失われた町=カピラヴァットゥ(Kapilavatthu)
[9]ババジーの町;クシナーラー(Kusinārā)
[10]ジャイナ教の町;パーヴァープリー(PāvāpurI)
[11]山の町;王舎城(Rājagaha)
[12]砂の町;ボドガヤー(Bodhgayā)
第2部 お釈迦様はどの道を通ってクシナーラーに着かれたか
[1]『涅槃経』の記述
[2]ケーサリヤの仏塔
[3]アンバ園
[4]Nādikā族の村
[5]Koṭigāma
[6]涅槃経の出発点
[7]増水のガンジス河
[8]Koṭigāmaの位置
[9]とっておきの根拠
[10]Koṭigāma以降
まとめ

[本報告の概要]
 これは中央学術研究所の援助を受けて、2001年8月1日から30日のちょうど1ヶ月をかけて実地調査した、「雨期におけるインド仏蹟の現地調査」報告会(2001.10.26)のためにまとめた原稿である。
 前回のインド仏蹟調査は、乾期に主に釈尊や仏弟子たちがどのように遊行したのかということを調査したので、今回は雨安居がどのように過ごされたのかということを追体験するために行ったものである。ただしあいにくなことに、われわれがインドに滞在している期間にはほとんど雨が降らなかったので、所期の目的を達成することができなかった。
 その代り予期していなかった仏蹟の多くを回ることができたので、本稿は地図や写真を提供しながら、この仏蹟に関して報告したものと、われわれが想定する『涅槃経』に描かれる釈尊最後の遊行ルートを検証した結果の報告が中心となっている。