[目次]

【1】研究の現状
【2】実地検証調査の目的
【3】実地検証調査の概要
【4】仏教中国の自然環境
【5】遊行の実際
【6】涅槃経=最後の遊行を読む
【7】終わりに

[本報告の概要]
 これは中央学術研究所の援助を受けて、原始仏教聖典に記載されている「遊行」記事を実地検証するために、釈尊や仏弟子たちがもっとも活発に活動したガンジス河流域の諸地方(現在ではBihar、Uttar Pradesh両州)を、釈尊や仏弟子たちがもっとも活発に遊行したと考えられる乾期の時期を選んで、1999年11月10日から12月4日にかけて実地調査した、その報告会(平成12年1月28日)のためにまとめた原稿である。この調査には森章司の他、北原秀樹・中島克久が参加し、現地の案内と通訳にはParijat TIWARI氏があたってくれた。
 この具体的な調査目的は、(1)原始仏教聖典に記されている釈尊が安居を過ごされ、また遊行された地名で、現在地が判明していない場所の特定、(2)各安居地を結ぶ遊行経路、(3)遊行の交通手段(馬車や船を利用したか)、(4)遊行の時期、(5)遊行に要した期間(1回の遊行で何日間くらいを使ったか)、(6)遊行の1日の平均的行程(1日にどれくらいの距離を進んだか)、(7)遊行の形態(1人で遊行したか、集団で遊行したか)などであり、この調査によって(さらに詳細な検証が必要であるが)以下のようなことが明らかになった。 

(1)に関してはCampā(チャンパー)、Pāvā(パーヴァー)、Sāketa(サーケータ)などの位置が明らかとなった。 

(2)に関しては、

ガンジス河沿岸道路 Campā---Pāṭaliputta(パータリプッタ)---Vārānasī(ヴァーラーナシー、ベナレス)---Kosambī(コーサンビー)
Rājagaha(ラージャガハ、王舎城)---Vesālī道路(これに2ルートがある)
Vesālī(ヴェーサーリー)---Malla(マッラ)道路(これに2ルートがある)
Kapilavatthu(カピラヴァットゥ)---Vesālī道路(これに2つのルートがある)
Rājagaha---Vārānasī道路(これに2ルートがある)
Rājagaha---Kosambī道路
Rājagaha---Āḷavī(アーラヴィー)道路
Sāvatthī(サーヴァッティー 舎衛城)---Vesālī道路
Sāvatthī---Sāketa道路
Sāvatthī---Vārānasī道路
Sāvatthī---Kosambī道路
Sāvatthī---Verañjā(ヴェーランジャー)道路

   上記の他、舎衞城からTakkasilā(タッカシラー、タキシラ)への西方の道が重要であることが判明した。 

(3)に関しては、用件があって早期に目的地に着くことを目的とする場合や、病人などを除いては、原則として遊行は徒歩でなされたであろうことが判った。渡河する場合にも乾期には水が涸れて、舟を必要とする河川はほとんどなく、場所によってはガンジス河でさえも、筏や浮輪を利用したり、動物の背中に乗ればよかったものと考えられる。 

(4)に関しては、仏弟子たちの遊行は現行の太陽暦でいえば4,5月と10、11月(特に10、11月)、釈尊はその間の12月から3月までと考えられることが検証できた。 

(5)に関しては、1ヶ月から2ヶ月までの期間であろうことが判明した。
 

(6)に関しては、1日1由旬というのが平均であり、1由旬は約12、3キロであろうことが判明した。 

(7)に関しては、1人で行う場合、集団で行う場合、キャラバン隊などと同行する場合など、さまざまであることが判明した。 上記のような内容を地図や写真を貼付しながら、具体的に報告したものである。