「パーリ語原始仏教聖典」と「漢訳原始仏教聖典」

 私たちは研究論文の中で、これを「第1次文献」あるいは「A文献」などと呼んでいます。後世の注釈書文献を「第2次文献」あるいは「B文献」と呼んで、区別するためです。なお「第1次文献資料」あるいは「A文献資料」などと「資料」という言葉を付して呼ぶ場合もありますが、これは「文献」そのものをさすのではなく、これらの「文献」に記されている「データ」を意味します。
 原始仏教聖典の主なものは、以下に記したパーリ語で書かれた「経蔵」としての5つのニカーヤと、「律蔵」としてのヴィナヤ、それに漢訳された「経蔵」としての5つの阿含経と、「律蔵」としての5種類の漢訳広律です。広律の最後の「根本説一切有部律」は、文献としては「毘奈耶」「出家事」「安居事」などに分かれ、一つのまとまった文献とはなっていません。ただしこれには多くの後世の説話的伝承が含まれていますので、私たちはこれを原則として第2次文献(B文献)として扱っています。
 なお「モノグラフ」に掲載した論文ではその略号を記した場合もありますので、これもそえておきます。


パーリ 漢  訳
<< 経蔵>>





長部 (DIghanikāya  DN.) 長阿含経
中部 (Majjhimanikāya  MN. 中阿含経
相応部 (Saṃyuttanikāya  SN 雑阿含経

別訳雑阿含経
増支部 (Aṅguttaranikāya  AN 増一阿含経
小部 (Khuddakanikāya  KN



<<律蔵>>




ヴィナヤ(Vinaya 四分律

弥沙塞部和醯五分律

十誦律

摩訶僧祇律

根本説一切有部毘奈耶


 「経蔵」は釈迦牟尼仏の人生や世界などに関する普遍的な教えを集大成したものです。これらは原則として「このように私は聞きました。ある時世尊は500人の比丘たちからなる大比丘サンガとともに王舎城からナーランダーに至る大道を進んでおられました」(DN.01 Brahmajāla-sutta)というような形式で始まり、この後に、その時世尊は誰に対して、どのような教えを説かれ、その人はどうしたかなどが続きますから、いわば釈尊の伝記を記したものということができますが、残念ながらすべてが「ある時」と表されるのみで特定の時日を示しませんから、未だに釈尊の正確な伝記は明らかにされていません。

 「経蔵」は次のように分類されています。

長部・長阿含経
長めの経を集めたもので、前者には34経、後者には30経が含まれています。
中部・中阿含経
中ほどの長さの経を集めたもので前者には152経、後者には222経が含まれています。
相応部・雑阿含経・別訳雑阿含経
「相応部」は短い経を主題別に集めたもので、最初の部分は「諸天相応」「天子相応」「コーサラ相応」というようになっています。漢訳には『雑阿含経』と『別訳雑阿含経』の2つがあります。これらも最初は主題別に編集されていたものと考えられますが、伝えられる間に乱れてしまい、現在形は必ずしもそうなっていません。しかしある程度の復元は可能ですので、「国訳一切経」(大東出版社)の中に収められた『雑阿含経』ではそれが編集し直されています。前者は約3000の経、後者は大正新修大蔵経によれば1362の経からなっています。
増支部・増一阿含経
これも短めの経で、これを法数にしたがって編集したものです。「法数」というのは、「四諦」「八正道」のように数字で整理された教えをいいます。前者は註釈(Samantapāsādikā、『善見律毘婆沙』)によれば9,557経で、後者には約520経が含まれています。経数からも知られるように、これらは相互にほとんど相応しません。前者は要点だけを記す場合が多いに対して、後者には多くの物語が含まれており、かなり長くなっています。
小部  
「小部」という部類分けはパーリ聖典に残されているだけで漢訳にはありませんから、この部類が編集されたのは新しいと考えられています。ただしここに含まれる経には古いものがあることはよく知られ、漢訳にも一部が残されています。この中には以下の15の経が収められています。経名はパーリ語の三蔵を和訳した「南伝大蔵経」(大正新脩大蔵経刊行会発行、大蔵出版社発売)で使われているもので示しました。
小誦経(Khuddakapāṭha Khp.)」は南方上座部の日常勤行聖典というべきものです。
法句経(Dhammapada Dhp.)」は人生の指針となるような句を集めたアンソロジーで、漢訳には維祇難等訳「法句経」2巻、法炬共法立訳「法句譬喩経」4巻、竺仏念訳「出曜経」30巻、天息災訳「法集要頌経」4巻(法句譬喩経、出曜経には注釈書に相当する部分が含まれています)があり、プラークリットやチベット語の文献も残されています。
自説経(Udāna Ud.)」は釈尊が質問に答えるのではなく、感興に催されて自発的に発せられた詩を集めたもので、サンスクリット語で残されたUdānavargaは先の法句経とこれが合わされたようなものです。
如是語経(Itivuttakaīt.)」は「世尊によってこのように説かれた(vutta)○○と(iti)」という形式でまとめられた経です。
経集(Suttanipātaśn.)」は古い経(sutta)を集めたもので、漢訳にはその一部が「義足経」として残されています。
本生経(Jātaka J.)」は釈尊の前世でのすぐれた行いを説話を借りて物語ったものですが、原始聖典に属するのは詩の形で書かれた部分で、物語の部分は後に成立した注釈書です。
「長老偈経(Thera-gāthā Thag.)」と「長老尼偈経(Therī-gāthā Thīg.)」は比丘や比丘尼たちがうたったとされる詩です。
 「小部」のうち以上の8経を私たちは原始仏教聖典(A文献)として扱っています。この他にも次のような経が含まれていますが、私たちはこれらは注釈書文献(B文献)して扱っています。
天宮事経(Vimāna-vatthu Vv.)」と「餓鬼事経(Peta-vatthu Pv.)」は天界と餓鬼の有り様とそこに生まれる原因となった業を説いたものです。
「義釈(Niddesa Nd.)」は「経集」のなかの義品と彼岸道品の注釈、「無礙解道(Paṭisambhidāmagga Pṭm.」は修業道の体系を述べたものです。
譬喩経(Apadāna Ap.)」は仏弟子の過去世についての詩、「仏種姓経(Buddhavaṃsa Bv.)」は25人の過去仏の種姓・因縁・一代記についての詩、「所行蔵経(Cariyāpiṭaka Cp.)」は本生話のなかから十波羅蜜の各項に当てはまるものを選んで詩の形に編集したものです。


 「律蔵」はパーリのヴィナヤ(『パーリ律』)の用語を用いれば、大きく分けて「経分別きょうふんべつ」と「犍度けんど」に分かれます。前者は比丘・比丘尼の生活規則を集めたもので、後者はサンガ(僧伽)の運営規則を集めたものです。いわば前者は釈尊時代の出家者たちがどのような生活をしていたかということを知る材料となり、後者は釈尊の弟子たちが4人以上集まって形成される一つ一つのサンガがどのように運営されていたかということを知る材料になります。これらも釈尊の事績を伝えたものということができますが、これにも残念ながら特定の時日の記載はありません。しかし仏教の教えにおいて出家修行しようとする者を、比丘や比丘尼としてサンガに迎え入れる規則が、改廃の順を追って記されているような部分もあり、これらが貴重な釈尊の伝記を記した資料となっています。


経分別
 「経分別」は大きくは比丘戒と比丘尼戒に分けられ、それらは処罰の種類によって波羅夷・僧残・不定・捨堕・波逸提・提提舎尼・衆学に分けられ、最後に滅諍法が付されています(これも「南伝大蔵経」の用語を用いたもので、漢訳では異なる場合があり、それは以下の罰を解説する中で紹介します)。ただし比丘尼には不定はありません。これらを簡単に説明すると以下のようになります。条文の数は律によって多少の違いがありますので、ここでは『パーリ律』のものを紹介します。
 波羅夷(pārājika 波羅市迦ともいう)は比丘4条、比丘尼8条です。比丘の4条は不浄(性行為)、不与取(盗み)、人体(殺人)、上人法(覚ったという嘘)で、これを犯すとサンガから追放され、再び出家することはできません。他からも告発でき、罪の成立に告白を必要としません。ただし告発と本人の言い分が違うときには、サンガにおいて羯磨(裁判)が行われました。
 僧残(saṃghādisesa 僧伽伐尸沙ともいう)は比丘13条、比丘尼17条です。破僧などの罪で、6日間の謹慎処分に処せられ、その間は端の部屋に住むとか、共に語ってはならないなど、他の比丘・比丘尼から村八分的な扱いを受けます。この罰に従順に服して、20人以上のサンガによって許されれば僧権が復活します。他からも告発できるのは波羅夷と同じです。
 不定(aniyata)は比丘に特有の罪で2条です。性行為に関する罪で、有信の優婆夷(在家の女性信者)の証言をもって「告白を必要としない罪(告発できる罪)」か「告白による罪」かが決定されます。
 捨堕(nissaggiya-pācittiya 尼薩耆波夜提、尼薩耆、泥薩祇波逸底迦ともいう)は比丘30条、比丘尼30条です。規則に反する物を所有する罪で、サンガ(4人以上)あるいは2、3人の衆、あるいは長老の前で告白することによって罪が成立します。したがって他からの告発はできません。物はサンガに没収されますが、告白が受理(許可)されれば僧権が復活し、原則としてその物はもとの所有者に返還されます。なお、常習的な違反者など悪質な場合は、別に「挙罪羯磨」などの告発と裁判制度が設けられています。これは以下の罪も同じです。なお「告白」は罪を犯したことを申告して、出家修行者として活動する権利の復活を願い出る法手続であって、決して大乗仏教のいうような「懺悔」ではありません。
 波逸提(pācittiya 堕、単提、波逸底迦ともいう)は比丘92条、比丘尼166条です。物に関する罪ではなく、定められた時間以外に食事することなどさまざまな罪が含まれます。サンガ(4人以上)あるいは2、3人の衆、あるいは長老の前で告白することによって罪が成立するのは捨堕と同じで、告白が受理(許可)されれば僧権が復活します。
 提舎尼(pāṭidesanīya 悔過、波羅提提舎尼、波羅底提舎尼ともいう)は比丘4条、比丘尼8条です。比丘が比丘尼の手から食事を受けるなどの罪で、1人の比丘に告白することによって罪が成立し、それと同時に許されます。要するに届ければよく、許可を必要としないということになります。
 衆学(sekhiya 衆多学ともいう)は比丘75条、比丘尼75条です。食事の作法などのマナーに反する罪で、これを犯しても僧権を失うことにはなりません。要するに罪とはいえない罪で、心の中で反省すべきことが求められます。
 滅諍(adhikaraṇasamatha)は比丘、比丘尼ともに7条です。サンガに争いが起きたときにはこの方法にしたがって調停すべきことが求められています。この中に多数決が含まれています。違反したときは突吉羅という罰を受けます。突吉羅は衆学の罰と同じものと考えられています


 犍度
 『パーリ律』の犍度は「大品」と「小品」の2部からなっています。
 「大品」は、十衆白四羯磨による具足戒の作法を定めた「大犍度」(漢訳律では多くは「受戒犍度」と呼ばれます)、布薩と雨安居と自恣の作法を定めた「布薩犍度」「入雨安居犍度」「自恣犍度」、皮で作った履などの皮革に関する定めを集めた「皮革犍度」、薬の種類や利用法、あるいは食物に関する定めを集めた「薬犍度」、迦絺那衣かちなえや衣に関する規定を集めた「迦絺那衣犍度」「衣犍度」、チャンパーとコーサンビーという都市で起こった紛争ないしは破僧事件にちなんで定められた規則が収められた「チャンパー犍度」「コーサンビー犍度」に分かれています。
 「小品」は、苦切羯磨・依止羯磨・駆出羯磨・下意羯磨・不見罪挙羯磨・不懺悔罪挙羯磨・不捨悪見挙羯磨など強制的に罰に処する方法に関する規則を集めた「羯磨犍度」、僧残罪による謹慎中の措置を定めた「別住犍度」、謹慎中の再犯者の措置を定めた「集犍度」、サンガの紛争の調停の仕方を定めた「滅諍犍度」、サンガ内での集団生活の方法を定めた「小事犍度」、寺院の固定資産・備品などに関する規則を集めた「臥坐具犍度」、提婆達多の破僧事件のいきさつを記した「破僧犍度」、客比丘の接待法などの規則を集めた「儀法犍度」、罪を犯した比丘が羯磨に参加することを制止するための措置を定めた「遮説戒犍度」、比丘の比丘尼に対する接し方を定めた「比丘尼犍度」、第1結集と第2結集の顛末を記した「五百犍度」「七百犍度」に分かれています。



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